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出直し市長選の太宰府市に何が起こったのか

headlines.yahoo.co.jp

先日、このようなニュースが流れました。
市議会で市長への不信任決議案が可決され、失職する事態。
しかもこれが二度目で、かつ共に全会一致というのは正直尋常じゃない話です。

出直し市長選は来月行われる予定となっていますが、一体、何が起こったのか。
簡単に経緯をまとめてみたいと思います。


太宰府市とは

まず、太宰府市について簡単に紹介しましょう。
…と言っても、その名前はあまりにも有名すぎて紹介するところがあるのかって話ですが。

太宰府市は福岡市から南東に16キロほどに位置しています。
そのルーツは古く、7世紀からその名前が使われているほど。
歴史の教科書にも出てくる非常に有名な土地です。
百済からの侵攻に備えてつくられた水城や、大宰府政庁、そして学問の神様菅原道真公のまつられる太宰府天満宮など、多くの文化的遺産も残されています。
現在は福岡市のベッドタウンとして、周辺市町と共に都市圏を形成、市内に7万人の住民が暮らしています。

「前職」

さて、そんな太宰府市ですが、今回失職となった市長とは一体どのような人物だったのでしょうか。
簡単に略歴に触れていきましょう。
「前市長」、芦刈茂氏は1949年生まれの現在68歳。
北九州市出身で、県下有数の進学校、明善高校、そして九州大学農学部を卒業しています。

そして、会社経営などを経て2007年の大宰府市議会選挙に出馬。当時定数20人のうち21人が立候補をしたうちの一人だったのですが、この時は得票数最下位で落選しています。
その4年後の2011年、再び太宰府市議会選挙に出馬し、当選。市議会議員となりました。
それを足がかりとして2015年に大宰府市長選挙に出馬、当時前職で、3選目を目指していた井上保廣との一騎打ちの末、390票差という僅差で当選を果たしました。
このとき、足刈氏は改革派らしく公約に「市長の給料の削減」、そして「中学校での給食導入」を掲げていました。
そう、この公約が今回の出直し市長選に繋がるのです。

市長と議会のいざこざ

当選してから2年での失職となった芦刈氏。
そうなるに至ったのは、議会との関係性の悪さでした。

地方行政で、市町村長と議会の関係が拗れるというのは全く珍しい話では内科と思います。
実際、10年ほど前、鹿児島県の阿久根市で当時の竹原市長と市議会との軋轢が表面化しての騒動が全国でのニュースにもなっていました。
まさに、それと同じような状態になっていた、と言っていいでしょう。
竹原元市長も、市議会議員からの市長となって、という形でしたが、起こった状況としてはそれに近いといえるでしょうか。

公約として掲げていたうちの「市長の給料の削減」は二度議会に条例案を提出するも否決。
この時点でだいぶ関係性が拗れてるな、と考えるのですが、まあコレだけならまだなんともといったところです。

さて、もう一つの大きな公約である「中学校での給食導入」ですが、こちらは昨年12月の議会内で実施を表明。
元々業者による配送での弁当給食が行われているのですが、それを完全給食として導入するというものでした。
要望もあり。実際に実施にいたる…と思われていたのですが、翌年の6月、費用コストが現在より5倍の2億円との見積もりとなり、財政上難しいとの理由に断念。
前述の公約とともに、出馬時の公約を実現できないということに至りました。

前者はともかく、給食の一件は自ら公約に掲げ、実施の表明をした上での撤回ともあり、議会からは不満が相次ぎます。
これを受けて6月の議会では問責決議案が提出される事態になりました。

既にこの時点で市長としての公約もなく、議会としても「何のために」という状態だったのですが、ここで日に油を注ぐ展開へと向かっていきます。

副市長の解職、そして不信任決議

8月下旬、大宰府市議会に大嵐がやってきました。
副市長が解職されたのです。

元々副市長は芦刈市長就任時は不在の状態で、中々任に就く人選も決まらず、最終的に市役所に長年勤務していた富田譲氏を副市長に任命していました。
しかし、その後、上記での騒動があり、「報告、連絡、相談がなく、従わないことがあった。このままでは改革は進まないと考えた」との市長のコメントが理由とのこと。
とはいえ、副市長という立場上市長と議員との橋渡しにいる人間を、改革の支障として切り捨てたということは議員たちにとっては完全に最後のトリガーを引く行為でしかありません。
しかも、定例会議直前の時期で、このまま議会が始まれば、起きることは既に見えていました。

そして、想定どおり9月の議会内では辞職勧告が可決されます。
しかし、予想通り芦刈氏側は動くはずもなく、10月に不信任決議案が提出、全会一致で可決となりました。
辞職勧告になんとも反応しないのですから、当然のことですが市長は辞職を拒み、氏議会解散の運びとなりました。

市議会解散で得たのは自身の在籍日数だけだった

これにより、市議会議員選挙が行われることになったのですが、告示された時点で既に選挙の争点は決着してしまいました。

と、いうのも、定数18に対して立候補が21名のうち、明確に市長を支持することを表明した候補者は皆無。
誰が当選しても再び全会一致で不信任決議案が可決されるのは明白でした。
そして11月末に選挙が行われ、新人元職を含む18名が当選。
もちろん、この中に市長派はいないのは分かっていました。
そして、12月12日に開かれた市議会、既定路線の不信任決議案の提出がなされます。

そして、再び全会一致で可決、芦刈市の失職が決まり、出直し市長選が執り行われる運びとなったわけです。

市長選挙の様相

上記のとおり、ざっくりと流れを説明するとこんなところになります。
8月の副市長解職の後、9月の議会で副市長の選任決議は出されたものの、解職の経緯が経緯なため否決。
そのため、現在は市長と副市長が不在となっています。
職務代行者が選出されているのですが、やはりこうなっていることは異常事態としか言いようがありません。

さて、出直し市長選は来年1月末を予定しています。
芦刈前市長は失職当日に再出馬を表明済み。
これに対抗馬として誰が出るのか、というところが問題になると思われていました。

翌日、市の教育長の木村市が出馬を表明。
元々、給食の一件の関係者ではありましたが、教育長の辞任を前市長に拒まれ、失職まで任に就いていました。
そのため、失職の翌日に辞任し、出馬する運びになったわけです。
…これにより、現在は市長、副市長、そして教育長のポストが空いていることになります。

一騎打ちになるのかと思われたのもつかの間、15日に三人目として楠田氏が表明。
衆議院議員の楠田氏は、民主党時代に当選を果たし、民主党政権時代には防衛政務官を歴任。
今年10月の選挙では希望の党より出馬し、落選していました。
出馬に先駆けて12日に希望の党を離党し、無所属として出馬するようです。
楠田氏は、元々筑紫野市に地盤があり、隣接する太宰府市議会の混乱についてSNSでも触れていました。
現時点では3名で争われることになりそうな市長選。
まだ一ヶ月以上先ではありますが、非常にきになるところです。